子供のころに親がケンカばかりして離婚した(50代・女性)
私の親は東京の下町で、クリーニング屋をやっていました。
でも、家は木造の汚い借家だったのを覚えています。
子供ながらになんで借家だという言葉を知っていたのかというと、母親が父親と毎日のようにケンカをしているときに「こんな借家暮らしはもういやだ」と大声でいっていたからでした。
学校から帰宅しても、親は毎日のようにケンカをしていましたので、悲しい気持ちを持っていました。
私は、すっかり学校でも家でも誰とも話をすることをやめてしまったのでした。
それは悲しいあまり、自分の感情を自分で封印してしまうことで、自分の心がそれ以上悲しくならないように防衛本能が働いていたんだと思います。
親は、私が11歳になってから離婚しました。
飼っていた猫が亡くなったこと(30代・女性)
私は7歳位の時に、公園にいた仔猫を連れて帰りました。
私の家族はみんな猫好きで、その時も3匹の先住猫がいました。
3匹とも野良猫で、家族の誰かが連れてきた猫達です。
新しい子も動物病院に健康診断に連れて行き、女の子だったのですが発情期になる前に避妊も済ませました。
その子は私に一番なついていて、私も一番可愛がっていました。
学校から帰ったら一緒に遊び、寝る時も一緒の布団に入って寝ます。
そんな時に突然その子が亡くなってしまいました。
学校から帰ってすぐに家族が教えてくれたのですが、朝まで元気だったので全然信じられなくて呆然としてしまいました。
だんだん理解してくると涙が出て止まらなくなりました。
ご飯も喉を通らず、次の日も学校に行けずに泣いてばかりいました。
今私は30歳になりますが、あれほど泣いたことは今までありません。
今でもその時のことを思い出すと泣いてしまいます。
初めての転校(30代・女性)
小学生の頃に親の転勤で引っ越す事になりました。
1番仲の良かった友達から
「一緒に○○クラブに入ろうねって言ったのに」
と書いてある手紙をもらった時はすごく泣きました。
仲の良い友達と離れ離れになる事が辛くて、転校したくなかった私。
母親から転校する旨が書いてある手紙を先生に渡すように言われていたのに、しばらく渡せなくてランドセルに隠し持っていたものです。
見つかった時はものすごく怒られましたが…。
その後も何度か引っ越しましたが、人との別れは何度経験しても悲しいものです。
でも、新たな出会いも沢山あるんですよね。
今となれば、同じ場所でずっと過ごすよりも、色々な場所で友達が出来た事も良かったと思います。
そして、あの時手紙をくれた友達とは今でも変わらず仲の良い友達です。
うまく隠れすぎたかくれんぼ(30代・女性)
私が小さい頃の悲しい出来事はかくれんぼです。
友達の住んでいるマンションで何人かでかくれんぼをしようということになって、うまく隠れてやるぞと張り切って隠れていました。
最初のうちは、鬼の友達の足音が聞こえては足音が小さくなっていき、しめしめ気づかれていないと嬉しがっていたのですが、時間が経つにつれ足音すら聞こえなくなってきました。
どのくらい隠れていたかは覚えていないのですが、だんだん不安な気持ちになってきて、もう隠れるのをやめて出て行こうかなとか、本当はみんなはもうかくれんぼをやめてしまったのではないかと思うようになりました。
結局、我慢できなくなって隠れるのをやめて出て行っても誰もいません。声も聞こえません。
みんなどこにいったのだろうと思いながら、とりあえずマンションに住んでいる友達のお母さんに聞いてみようと思い、ドアを開けたら…。
なんと、私の友達みんなが私のことなんか忘れたみたいな顔をして、楽しそうにお菓子を食べていたのです。その風景を見たとき、とてつもない悲しい思いになり、私は泣いてしまったことを今でも覚えています。
肥満が珍しかった時代に肥満だった私へ視線(40代・男性)
今でこそ、子供達は肥満児が多いですが、私が小学生の頃は今ほど肥満児はいなかったです。
そんな時代に小学生で80kgあった私は、ぶーちゃんというあだ名をつけられます。
子供だけでなく大人からも太ってることを話しのネタにされていたのです。
悪気はないようでしたが、たくさん人がいる中で太ってることをネタに話されると私は子供ながらにとてもショックだったのを覚えています。
私は暴飲暴食して太っていたのでなく、当時の病気が影響していたのです。
そんなことは周りも理解できない時代ですから、容赦なくイジメの対象にもなります。
先生も助けてはくれないのです。
私の兄弟は細かったので余計に目立つために、「どうして◯◯ちゃんだけ太ってるの」と会う度に言われるのです。
説明しても同じことの繰り返しなので説明するのも嫌になり黙ってスルーする感じでとても根暗な子供時代を過ごしていたのです。
大好きだったおじいちゃん(30代・女性)
私には、おじいちゃんがいました。
おじいちゃんは、私が小学校の頃オモチャを買いに私を自転車に乗せて遠くのオモチャ屋さんに連れて行ってくれました。
私が、ピンクのウサギのぬいぐるみが欲しいと言うと何も言わずに買ってくれました。
嬉しくて私は大事にしていました。
ある日、おじいちゃんが出掛けると言うのでまた、自転車に乗せられてついて行きました。
すると、仔犬をもらいに来た事が分かり、私は大喜びしました。
私は、ぬいぐるみを抱いていつも仔犬と遊びました。
私が四年生になった頃、おじいちゃんが入院してしまいました。
でも、すぐに退院したので大丈夫なんだと思っていました。
しかし、また入院してしまい、一週間後には亡くなってしまいました。
私は、大好きなおじいちゃんに何もしてあげられませんでした。
ありがとうと一言言いたかったと後悔しています。
たまに帰る親が帰って悲しかった思い出(40代・女性)
子供の頃に経験した悲しい思い出は、親が仕事のために都会へと帰っていってしまったことです。
祖母の家に預けられていた私は、親とたまにしか会えませんでした。
夏休みや冬休みにしか来ない親だから、自分の生んだ親だとは思っていませんでした。
帰ってしまう時にはもう辛くて仕方ありません。
小学校の3年までそれが続き、だんだんと記憶力がよくなるたびに辛さも倍増するんです。
寝ている間に帰ってしまうから、朝起きるともういません。
せっかくの冬休みに帰って来ると楽しみに待っていたら、用事があるから来ないと分かった時、ほんとに悲しくて仕方ありませんでした。
たまに来る親に買ってもらった絵本を、いつの間にかおばあちゃんが他の子供にあげてしまったのも凄く悲しかったです。
子供の頃に経験した悲しい出来事たち(40代・女性)
子供の頃、近所に住んでた同級生の女の子が、学校から帰ると、親が共働きで居ないので寂しいかったのか、私の家におやつを食べに来て、漫画を読んで時間を潰して、気が済んだら自分の家に帰っていきました。
友達とパーティーがしたくなったら、自分の家を使いたくないから私の家を会場にしたり、テレビ局に抽選のハガキをたくさん出したいから私にハガキ代を半分出せと言ったり、野良猫の子猫を飼いたいから一緒に捕まえてくれとか(これは断りましたけど)他にも色々と私を利用していたのに、学校に行くと、私に話しかけられたくないらしく、他の関係無い女子にあることないこと悪口を言って、大勢でいじめられました。
学校の先生も助けてくれませんでした。
何年も彼女の言うことを聞いてあげて親切にしたつもりだったのに、私が気に入らなければ家に来なければいいのに、おやつはもらいたいから、漫画は読みたいから来て、学校に行けばこんな仕打ちをされるのかと、とても悲しかったです。
一度も話した事もない人達からいじめられるのも悲しかったです。
辛くて長い現実でした。
一生懸命育てたジュウシマツ(40代・女性)
私は小学生の頃、ジュウシマツを飼っていました。
つがいで飼っていたので、雛も3匹生まれました。
私にとって初めてのペットだったので、本当に嬉しくて大事に育てていました。
ところが、ある時、鳥かごをそうじしようと、かごの扉を開けた時に、雛たちが飛んで行ってしまったのです。
もう、だいぶ飛べるようになっていたのです。
更についていない事に、玄関のドアも開いていたのです。
ジュウシマツは止まることなく空高く飛んで行きました。
その夜は悲しくて悲しくて一晩中泣いてしまいました。
そして、その後、家の近所にポスターなどを貼って探しましたが、全く見つかる事はありませんでした。
それ以来、同じ思いはしたくなかったので、ペットは飼った事はありません。
今でもペット用の鳥を見ると思い出してしまいます。
私の親は東京の下町で、クリーニング屋をやっていました。
でも、家は木造の汚い借家だったのを覚えています。
子供ながらになんで借家だという言葉を知っていたのかというと、母親が父親と毎日のようにケンカをしているときに「こんな借家暮らしはもういやだ」と大声でいっていたからでした。
学校から帰宅しても、親は毎日のようにケンカをしていましたので、悲しい気持ちを持っていました。
私は、すっかり学校でも家でも誰とも話をすることをやめてしまったのでした。
それは悲しいあまり、自分の感情を自分で封印してしまうことで、自分の心がそれ以上悲しくならないように防衛本能が働いていたんだと思います。
親は、私が11歳になってから離婚しました。
飼っていた猫が亡くなったこと(30代・女性)
私は7歳位の時に、公園にいた仔猫を連れて帰りました。
私の家族はみんな猫好きで、その時も3匹の先住猫がいました。
3匹とも野良猫で、家族の誰かが連れてきた猫達です。
新しい子も動物病院に健康診断に連れて行き、女の子だったのですが発情期になる前に避妊も済ませました。
その子は私に一番なついていて、私も一番可愛がっていました。
学校から帰ったら一緒に遊び、寝る時も一緒の布団に入って寝ます。
そんな時に突然その子が亡くなってしまいました。
学校から帰ってすぐに家族が教えてくれたのですが、朝まで元気だったので全然信じられなくて呆然としてしまいました。
だんだん理解してくると涙が出て止まらなくなりました。
ご飯も喉を通らず、次の日も学校に行けずに泣いてばかりいました。
今私は30歳になりますが、あれほど泣いたことは今までありません。
今でもその時のことを思い出すと泣いてしまいます。
初めての転校(30代・女性)
小学生の頃に親の転勤で引っ越す事になりました。
1番仲の良かった友達から
「一緒に○○クラブに入ろうねって言ったのに」
と書いてある手紙をもらった時はすごく泣きました。
仲の良い友達と離れ離れになる事が辛くて、転校したくなかった私。
母親から転校する旨が書いてある手紙を先生に渡すように言われていたのに、しばらく渡せなくてランドセルに隠し持っていたものです。
見つかった時はものすごく怒られましたが…。
その後も何度か引っ越しましたが、人との別れは何度経験しても悲しいものです。
でも、新たな出会いも沢山あるんですよね。
今となれば、同じ場所でずっと過ごすよりも、色々な場所で友達が出来た事も良かったと思います。
そして、あの時手紙をくれた友達とは今でも変わらず仲の良い友達です。
うまく隠れすぎたかくれんぼ(30代・女性)
私が小さい頃の悲しい出来事はかくれんぼです。
友達の住んでいるマンションで何人かでかくれんぼをしようということになって、うまく隠れてやるぞと張り切って隠れていました。
最初のうちは、鬼の友達の足音が聞こえては足音が小さくなっていき、しめしめ気づかれていないと嬉しがっていたのですが、時間が経つにつれ足音すら聞こえなくなってきました。
どのくらい隠れていたかは覚えていないのですが、だんだん不安な気持ちになってきて、もう隠れるのをやめて出て行こうかなとか、本当はみんなはもうかくれんぼをやめてしまったのではないかと思うようになりました。
結局、我慢できなくなって隠れるのをやめて出て行っても誰もいません。声も聞こえません。
みんなどこにいったのだろうと思いながら、とりあえずマンションに住んでいる友達のお母さんに聞いてみようと思い、ドアを開けたら…。
なんと、私の友達みんなが私のことなんか忘れたみたいな顔をして、楽しそうにお菓子を食べていたのです。その風景を見たとき、とてつもない悲しい思いになり、私は泣いてしまったことを今でも覚えています。
肥満が珍しかった時代に肥満だった私へ視線(40代・男性)
今でこそ、子供達は肥満児が多いですが、私が小学生の頃は今ほど肥満児はいなかったです。
そんな時代に小学生で80kgあった私は、ぶーちゃんというあだ名をつけられます。
子供だけでなく大人からも太ってることを話しのネタにされていたのです。
悪気はないようでしたが、たくさん人がいる中で太ってることをネタに話されると私は子供ながらにとてもショックだったのを覚えています。
私は暴飲暴食して太っていたのでなく、当時の病気が影響していたのです。
そんなことは周りも理解できない時代ですから、容赦なくイジメの対象にもなります。
先生も助けてはくれないのです。
私の兄弟は細かったので余計に目立つために、「どうして◯◯ちゃんだけ太ってるの」と会う度に言われるのです。
説明しても同じことの繰り返しなので説明するのも嫌になり黙ってスルーする感じでとても根暗な子供時代を過ごしていたのです。
大好きだったおじいちゃん(30代・女性)
私には、おじいちゃんがいました。
おじいちゃんは、私が小学校の頃オモチャを買いに私を自転車に乗せて遠くのオモチャ屋さんに連れて行ってくれました。
私が、ピンクのウサギのぬいぐるみが欲しいと言うと何も言わずに買ってくれました。
嬉しくて私は大事にしていました。
ある日、おじいちゃんが出掛けると言うのでまた、自転車に乗せられてついて行きました。
すると、仔犬をもらいに来た事が分かり、私は大喜びしました。
私は、ぬいぐるみを抱いていつも仔犬と遊びました。
私が四年生になった頃、おじいちゃんが入院してしまいました。
でも、すぐに退院したので大丈夫なんだと思っていました。
しかし、また入院してしまい、一週間後には亡くなってしまいました。
私は、大好きなおじいちゃんに何もしてあげられませんでした。
ありがとうと一言言いたかったと後悔しています。
たまに帰る親が帰って悲しかった思い出(40代・女性)
子供の頃に経験した悲しい思い出は、親が仕事のために都会へと帰っていってしまったことです。
祖母の家に預けられていた私は、親とたまにしか会えませんでした。
夏休みや冬休みにしか来ない親だから、自分の生んだ親だとは思っていませんでした。
帰ってしまう時にはもう辛くて仕方ありません。
小学校の3年までそれが続き、だんだんと記憶力がよくなるたびに辛さも倍増するんです。
寝ている間に帰ってしまうから、朝起きるともういません。
せっかくの冬休みに帰って来ると楽しみに待っていたら、用事があるから来ないと分かった時、ほんとに悲しくて仕方ありませんでした。
たまに来る親に買ってもらった絵本を、いつの間にかおばあちゃんが他の子供にあげてしまったのも凄く悲しかったです。
子供の頃に経験した悲しい出来事たち(40代・女性)
子供の頃、近所に住んでた同級生の女の子が、学校から帰ると、親が共働きで居ないので寂しいかったのか、私の家におやつを食べに来て、漫画を読んで時間を潰して、気が済んだら自分の家に帰っていきました。
友達とパーティーがしたくなったら、自分の家を使いたくないから私の家を会場にしたり、テレビ局に抽選のハガキをたくさん出したいから私にハガキ代を半分出せと言ったり、野良猫の子猫を飼いたいから一緒に捕まえてくれとか(これは断りましたけど)他にも色々と私を利用していたのに、学校に行くと、私に話しかけられたくないらしく、他の関係無い女子にあることないこと悪口を言って、大勢でいじめられました。
学校の先生も助けてくれませんでした。
何年も彼女の言うことを聞いてあげて親切にしたつもりだったのに、私が気に入らなければ家に来なければいいのに、おやつはもらいたいから、漫画は読みたいから来て、学校に行けばこんな仕打ちをされるのかと、とても悲しかったです。
一度も話した事もない人達からいじめられるのも悲しかったです。
辛くて長い現実でした。
一生懸命育てたジュウシマツ(40代・女性)
私は小学生の頃、ジュウシマツを飼っていました。
つがいで飼っていたので、雛も3匹生まれました。
私にとって初めてのペットだったので、本当に嬉しくて大事に育てていました。
ところが、ある時、鳥かごをそうじしようと、かごの扉を開けた時に、雛たちが飛んで行ってしまったのです。
もう、だいぶ飛べるようになっていたのです。
更についていない事に、玄関のドアも開いていたのです。
ジュウシマツは止まることなく空高く飛んで行きました。
その夜は悲しくて悲しくて一晩中泣いてしまいました。
そして、その後、家の近所にポスターなどを貼って探しましたが、全く見つかる事はありませんでした。
それ以来、同じ思いはしたくなかったので、ペットは飼った事はありません。
今でもペット用の鳥を見ると思い出してしまいます。
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近所の金持ち家族は1年間に数え切れないほどファーストクラスで海外旅行してるのに、近所の娘家族が特に大富豪で高級車レクサスに乗ってるし冬休みは毎年海外旅行三昧。毎年冬休みが終わるころ海外旅行の超高級お土産を持って実家に来るからとても悲しい。今の子供は大金持ちが多いからとても悲しいです。