我が家の電話機の移り変わり(60代・女性)
子供の時と今とを比較して最も変わったと思うことといえば電話機です。
まず、ダイヤル式からプッシュ式に変わったことです。
子供がまだ小さかった頃、子供と一緒にガソリンスタンドに行った時、嫁さんに子供から電話で連絡するよう用事を頼んだところ「お父さん、電話のかけ方が分からないよ」と言って子供が戻ってきました。
電話機をよく見るとピンクのダイヤル式の公衆電話でした。
そういえば、子供が生まれた時は家の固定電話も公衆電話もダイヤル式だったと思い出し、子供がそういうのも無理はないなあと納得していました。
次に変わったことは電話機が携帯電話になったことです。
我が家も家族全員が携帯電話を持っています。
こんなに急速に携帯電話が普及するとは思いませんでした。



夏も33度位だったので外で遊んでいました(50代・女性)
子供の頃と変わったと思うものの中でも、最も変わったと感じるのは夏の暑さです。
私が子供の頃と言えば約40年前ですが、現在の37度だ70℃だと言うことはなく、真夏でも33度位で収まっていましたから、午後でも帽子を被って外で遊んでいました。
今とは違って「日射病」という言い方をしていましたが、「日射病にならないように日陰で遊びなさい」とは母から言われました。
又、一番暑い午後2時頃は昼寝をしたりもしましたが、扇風機を回して寝た覚えがありません。
昼寝後に母が夏みかんを絞ってくれたのを飲んだり、かき氷を食べたりで、脱水症状等起こしたことはありませんでした。
夜は流石に雨戸を閉めてしまうので蒸し暑くて眠りづらい夜はありましたが、父がクーラーにタイマーを取り付け、1~2時間だけクーラーをつけてくれたので、クーラーが止まる前に何とか寝ようとしていました。
赤ちゃんの汗腺は生まれた土地の気候に合わせて産まれてくると聞きますが、今の子供達はこの暑さに合わせた汗腺を持っているのでしょうか?


子どもの頃の自分はきっちりしすぎていました(30代・女性)
子どもの頃、私は本当にきっちりしすぎていて融通が利かないタイプでした。
何に対してでも、例外は全く認めないタイプで、物は言いよう、といったことも受け入れられる状態ではありませんでした。
ところが、今、色んな事情を垣間見てしまったためか、きっちりするということを忘れてしまっているようなこともあります。
今では物事には原則があって、原則は例外を作るためにあるんだということを認識しています。
世の中、例外が多いということにも気付きました。
自分が少し柔軟になって感じたのは、きっちりとしすぎていると自分が損をするということです。
期日を守ったり、約束を守ったりすることは重要ですが、それをいつもする必要はないということに気付いたんです。
これが人生経験を積んで気付いたことでしょうか。



毎日楽しかった子供時代(20代・男性)
私は20代の男性です。
先日、友人と昔の話で盛りあがりました。
年齢が近いと子供時代も同じような事をして過ごしている可能性もあるので話が合います。
そんな話をして自分で昔のことを思い出してみたのですが、子供のころの方が毎日楽しく過ごしていたなと思います。
今は仕事をしていて。多少は嫌なこともあったりするのもあります。
子供のころは毎日学校に行き、友達と遊ぶ、そんな生活をしていたのでストレスがたまりにくかったのかもしれません。
大人になって自分で色々なものが買えるようになりましたが、何か買ったときの喜びが昔ほど無いように思えます。
昔は買ってもらったゲームを一日中やったりしてましたが今買ったゲームを一日やるような気分にはなりません。
歳をとって身体的にも変わった部分は多いと思いますが、気持ち、考え方もかなり変わったなと思います。



インターネットは最高に画期的(50代・男性)
私が子供の頃は、ケータイもパソコンもありませんでした。
もちろんインターネットも無かったので、現代とは正に隔世の感があります。
特にインターネットの登場は画期的であり、それは人類史上に残る大発明の一つではないかと感じます。
インターネット発明後に生まれた若い人には、その大発明の意味がよく分からないことと思います。
ネットの無い世の中など、想像もできないかもしれません。
しかし今と昔を知る私のような者にとっては、インターネットの登場によって世の中は激変したと実感せざるを得ないのです。
ただしその激変は、必ずしも良い意味だけではありません。
残念ながら悪い意味で世の中が大きく変わってしまったという部分も感じます。
それは仕方のないことかもしれませんが、ネットの持つ負の側面、何とかならないものでしょうか。



子供時代と現在の比較(20代・男性)
子供の時代と現在の自分を比較するともっともかわったなと思うのが、感情がコントロールできるようになったことです。
子供時代はよくすぐ怒ったり泣いたりと感情に任せて行動し、よく周りを困らせていた記憶がとても多いです。
しかし、最近は友人や知り合いとトラブルになっても、相手が感情任せに怒ったりしているのをいさめている自分がよくいます。
また映画等で少々の感動では泣かないようになってしまいました。
こういう自分を認識しつつ、過去を振り返ると、怒りや悲しみをコントロールできるようになったのが嬉しいです。
しかし同時に、素直に楽しんだり、感動したり、喜んだり出来なくなってしまっていることは少し悲しくもあります。
反省はしつつも初心を忘れずに生きたいと感じます。



言いたいことが言えないようになった(20代・女性)
やはり一番変わったところは「空気を読むようになった」ことだと思います。
子供の頃は好きな人と好きなことだけしていればよかった。
しかし成長するにすれ集団生活を経験する中で、「自分と波長が合わない人とでも折り合いをつけて生活していかなければならない」ことを痛感していきます。
その結果、自分の言いたいことが他人にとって聞きたいこととは限らない、ということを学習していきます。
「その集団において必要とされること」しか言わなくなります。
本音は胸の底に沈めておきます。
もしもうっかり言ってしまったものなら、「なんて空気の読めないやつなんだ」と鼻白まれるに違いないからです。
子供の頃は子供の頃で弱い者いじめがありますが、大人の世界は大人の世界で、暗黙の了解を守れない人間には制裁があるところが恐ろしいです。



今と昔では子供を取り巻く環境が変わったと思います(30代・女性)
今と昔で違うなと思うこと、それは子供を取り巻く環境です。
私が子供だった頃は、放課後、子供同士で待ち合わせして、公園などで遊ぶことができました。
でも、今は何が起こるか分からないため、子供達だけで外で遊ばせることをためらってしまいます。
自治体もこのような現状に抗するべく策を立てています。
例えば、通学路に防犯カメラを設置して、地域の人たちが協力して見回り隊を結成したりしています。
しかし、犯罪を起こす人たちは、その上を行き、ちょっとした隙をついてきます。
とはいえ、世界の国々と比べたら、日本は今も昔も安全です。
子供だけで学校に行って、帰ってきます。
しかし、そういう姿が見られるもの、このままいけば、見られなくなるかもしれません。



お母さんがみんなきれい(50代・女性)
最近のお母さん方は、皆さんとてもきれいだなと思います。
小さな子を連れていてもきちんとお化粧されてて、育児疲れのようなものが見える方が少ないような気がします。
昔は、形振り構わず子供を追いかけているのが母親と言うイメージがありましたけど、最近は違うのかな?と思います。
おうちの中での日々の奮闘は、昔も今も変わりないとは思いますし、育児にお休みはありませんしね。
そんな中で、子供の身の回りは勿論、自分も身奇麗にするためには、かなりの努力や工夫が必要になってくるはずですから、育児と並行して自分磨きをこなせる今のお母さん方は凄いと思います。
お母さんがいつも綺麗で笑っているということは、子供にとって一番嬉しいことじゃないでしょうか。