午後の授業でのみ機嫌が悪い先生(30代・女性)
中学生のときの国語の先生に怖い先生がいました。
その先生の何が怖いのかというと「午後の授業でのみ機嫌が悪い先生」なのです。
週に2回国語の授業があり月曜日は午前、水曜日は午前となっています。
午前中の授業のときは優しく教えてくださり、授業も楽しいと感じます。
忘れ物をしたときも「今度から気をつけなさい」と一言注意される程度でした。
しかし、月曜日の午後の授業ではなぜか毎週機嫌が悪く、問題を当てられて答えることができないときはネチネチとした言葉で精神攻撃されます。
たまたまクラスメイトが忘れ物をしたとき、顔が青ざめていました。
その日、授業が始まるとクラスメイトは今週の生贄として捧げられました。
午前と午後の授業時間の違いでここまで性格の変わる先生をいまだに忘れることができませんでした。
テンション上げ上げデブハゲ先生(50代・男性)
私が高校2年生の時のクラス担任の先生の話なんですけど、ハゲでデブなのに、超テンションが高い先生で、朝、教室に入ってくる時はいつも踊りながら入って来て、最高に調子が良い時は、でんぐり返しをして入ってきたこともありました。
また、生徒を呼ぶ時は男子も女子も関係なく「ちゃん」付けで呼ぶので、私の下の名前は「だいすけ(仮)」と言うんですけど、いつも「だいすけちゃん」と呼ばれていました。
ちなみに同性愛者ではありません。
普通ならウザいとかキモいって生徒からは嫌われるかもしれませんが、いつも笑顔で一緒にいると楽しいので、めちゃくちゃ人気のある先生で、他のクラスの生徒たちからも羨ましがられました。
同窓会にもたまに顔を出してくれて、相変わらずハゲでデブだけど、みんな大好きな先生です。
U2最高(30代・女性)
外国語を担当していらした先生なのですが、とにかくU2が好きでたまらなかったみたいです。
あまり詳しくなかったので始めは気づくこともなくて、わからなかったのですが、鼻歌もU2、引用もU2。
自分がファンだったらもっと楽しめたかもしれません。
洋楽が好きな友達が、多分そうじゃないかなと教えてくれました。
友達が一対一の試験中に、ふとU2の話題を出したら、大盛り上がりで次の番の子がまだかな、とじれるぐらい試験が長引いたそうです。
友達も、それまでは、名前もあやふやに覚えられていて、発音も危ういままだったのに、次の日からはしっかり認識されていて、ファンのパワーってすごいなと思ったことを思い出しました。
一見怖そうで近寄りがたかったので、フレンドリーさとのギャップがインパクト大でした。
写真はNGの先生(30代・女性)
高校時代に少し変わっている先生がいました。
国語の先生だったのですが、授業を教えるのが下手という訳ではありません。
悪い先生でもなく、優しいのですが、とにかく変わっていました。
地味で大人しい先生だったのですが、たまに変な事を言っていました。
でも、正直面白くないのです。
占いとかオカルト系が好きだったような気がします。
昔流行ったサイババの砂か何かを持っていると言われていました(笑)
その先生に卒業式の日に記念に一緒に写真を撮ってくださいとお願いしたら、
「写真は魂を吸いとられるのでごめんなさい。その代わりに握手で許して下さい。」と笑顔でお断りされました。
そういう事を言う人に初めてあったので衝撃でした。
存在感はあまりなかったのに、インパクトは絶大でした。
今は何してるのかなあとふと思い出します。
私が通っていた学校にいた変わっている先生(30代・女性)
私の高校生のことの話です。
私が通っていた高校の先生で変わった授業をする英語の先生がいました。
授業の途中で先生が質問を出し、生徒を名指しで当てて答えさせるのですが、答えられなければスタンドアップ!と言い、生徒を立たせたまま授業が普通に再開されるのです。
そしてまた急に質問タイムとなり、立たされている生徒が答えられれば座ることができるのですが、答えられなければずっと立たされたまま。運の悪い生徒は授業中ずっと立ちっぱなしで授業を受けるといったことも普通にありました。
今の時代ではこんなスタイルで授業をしていたら即PTAで問題になったりするのでしょうが、私が高校だったのは今からもう何十年も前のこと。その当時はその授業スタイルでも成り立ってたんでしょうね。
でも、その授業スタイルのおかげできちんと予習をしていかないとまた立たされるという思いなり、きちんと予習をしたうえで授業を受けていたので、授業にはついていけていました。
もちろん私も立たされていましたけどね。
「受験の時代」に「生き方」を教えてくれた先生(50代・男性)
私がおぼえている「変わった先生」は、高校時代の倫理社会の先生でした。
「倫理社会(略して倫社)」という教科自体が社会学や哲学や、歴史が混ざり合った教科で、当時まだ共通一次試験で大学入試をしていましたが、どちらかといえば日本史や世界史を選択するものが多く、「倫社」は人気がありませんでした。
そのせいというわけでもないのでしょうが、その先生はどちらかというと「哲学者」的な先生でね受験対策の「ここが出るぞ」的な話は少なく、常に倫社の知識に加えて「生き方」のような話や高尚な話をよくしていました。
忘れられないのは、宗教の話になった時に「バッハの『マタイ受難曲』」というLP(古いですが)4枚組の話を長々と続けたことがありました。
そのおかげで私もバッハに興味を持ってしまい、いつの間にやらクラシックファンとなってしまいました。
受験とは関係の薄い話をしてくれたことで様々な知識が逆に頭に入り、興味の幅が増えたような気がします。私自身は試験には「倫社」を選択したので、結局ほとんど自力で勉強しなければならないことになってしまいましたが・・・。
それでもやはり自分にとっては忘れられない「思いきり影響を受けた変わった先生」でした。
授業中に趣味の話を半分くらいする先生(40代・女性)
高校の地学の先生がとてもユニークでした。
地学の授業も半分くらい済むと、自分の趣味のマラソンの話になるんです。
四国のマラソン大会に出たら、ランナーにお味噌汁などふるまってくれたとか。
北海道の大会ではおにぎりをもらったとか。
本当に地方のマラソン大会に出場するのは楽しいとうことをずっと話すんです。
一度、クラスのみんながその走っているところの、写真かビデオを見せて欲しいと言ったら、先生もすごく嬉しそうでした。
そして、次の授業の半分は、先生が撮りだめた地方のマラソン大会の写真見学会となりました。
また丁寧に写真がスライドになっていて、見やすく加工してあって、どこから借りてきたのか、スライド映写機を使って映してくれました。
本当に面白い先生で授業が楽しかった思い出があります。
迷惑!熱唱英語教師(20代・女性)
私が中学2年生の時の英語の先生が変わった人でした。
一般的に、授業の教材で英語の歌を取り上げることはよくあることだと思います。
ただその先生は、歌の歌詞に関することしか授業をしてくれませんでした。
毎日毎日、クイーンやワムの歌詞を暗記させられたり、歌を歌わされたり…。
ちなみに教師は一人だけ異常なテンションで熱唱してました。
そのため、受験を意識している真面目な生徒からも、授業中居眠りをするような不真面目な生徒からも嫌われていました。
二学期中盤になってもそんな状態が続いたため保護者からの苦情が殺到し、いつの間にかどこかに飛ばされていました。
代わりの先生が来てからがまた大変で、半年程手つかずになっていた文法や単語を必死で詰め込んだのが修羅場でした。
問題になりかけた先生らしい(40代・男性)
中学校の時の話です。
その先生のことは好きなのですが、一部の女子からは問題だという声もあったようです。
柔道部の顧問であり、英語を教えていました。
とにかく面白い先生であり、ユニークでした。
何がユニークかというと、エスパーシールを愛用し、いい事をするとエスパーシールをくれました。
また、授業の合間におみくじを引かしてくれたりしました。
そのおみくじは、竹に穴を開け、串を入れたオリジナルです。
他にもベルトでSMのようなプレイをして、生徒を叩いたりしていました。
この行為をされた女子が、親に相談し、学校で問題になったそうです。
お咎めはありませんでしたが、そういう事があったようです。
悪気はなかったでしょうが、女子中学生からすると衝撃的であり、ショックを受けたのかもしれません。
他にもクラスでゆっくりと女子を背負投した事もありました。
現代なら、何らかの処分を受ける先生と言えます。
人気のあった変わった先生(60代以上・男性)
小学校のころ、人気のあった変わった先生がいた。
白髪頭にすこしふとった身体、Tシャツと短パンという姿は、見るからにおおざっぱそうな身体をしていた。
話は生真面目でなく、ところどころふざけていて、いつも生徒の笑いを買っていた。
理科の先生なのだが、理科室にはテレビがおいてあり、授業のネタがなくなったなどといってときどきテレビでビデオを見せてくれた。
なぜかガメラ、ゴジラ、モスラなどの怪獣映画が多かった。
しかし理科の知識はちゃんと持ち合わせており、生徒の質問にもちゃんと答えていた。
雑談話もウィットやユーモアにたけていて面白いものが多く、今思い出せば興味深い話も多かった。
たぶん人気があったのは、彼が「怒る」ということをしなかったことだと思う。
そもそも彼の授業では、怒られるような生徒が不思議といなかったのだ。
生徒にとても好かれる良い先生だったように思う。
中学生のときの国語の先生に怖い先生がいました。
その先生の何が怖いのかというと「午後の授業でのみ機嫌が悪い先生」なのです。
週に2回国語の授業があり月曜日は午前、水曜日は午前となっています。
午前中の授業のときは優しく教えてくださり、授業も楽しいと感じます。
忘れ物をしたときも「今度から気をつけなさい」と一言注意される程度でした。
しかし、月曜日の午後の授業ではなぜか毎週機嫌が悪く、問題を当てられて答えることができないときはネチネチとした言葉で精神攻撃されます。
たまたまクラスメイトが忘れ物をしたとき、顔が青ざめていました。
その日、授業が始まるとクラスメイトは今週の生贄として捧げられました。
午前と午後の授業時間の違いでここまで性格の変わる先生をいまだに忘れることができませんでした。
テンション上げ上げデブハゲ先生(50代・男性)
私が高校2年生の時のクラス担任の先生の話なんですけど、ハゲでデブなのに、超テンションが高い先生で、朝、教室に入ってくる時はいつも踊りながら入って来て、最高に調子が良い時は、でんぐり返しをして入ってきたこともありました。
また、生徒を呼ぶ時は男子も女子も関係なく「ちゃん」付けで呼ぶので、私の下の名前は「だいすけ(仮)」と言うんですけど、いつも「だいすけちゃん」と呼ばれていました。
ちなみに同性愛者ではありません。
普通ならウザいとかキモいって生徒からは嫌われるかもしれませんが、いつも笑顔で一緒にいると楽しいので、めちゃくちゃ人気のある先生で、他のクラスの生徒たちからも羨ましがられました。
同窓会にもたまに顔を出してくれて、相変わらずハゲでデブだけど、みんな大好きな先生です。
U2最高(30代・女性)
外国語を担当していらした先生なのですが、とにかくU2が好きでたまらなかったみたいです。
あまり詳しくなかったので始めは気づくこともなくて、わからなかったのですが、鼻歌もU2、引用もU2。
自分がファンだったらもっと楽しめたかもしれません。
洋楽が好きな友達が、多分そうじゃないかなと教えてくれました。
友達が一対一の試験中に、ふとU2の話題を出したら、大盛り上がりで次の番の子がまだかな、とじれるぐらい試験が長引いたそうです。
友達も、それまでは、名前もあやふやに覚えられていて、発音も危ういままだったのに、次の日からはしっかり認識されていて、ファンのパワーってすごいなと思ったことを思い出しました。
一見怖そうで近寄りがたかったので、フレンドリーさとのギャップがインパクト大でした。
写真はNGの先生(30代・女性)
高校時代に少し変わっている先生がいました。
国語の先生だったのですが、授業を教えるのが下手という訳ではありません。
悪い先生でもなく、優しいのですが、とにかく変わっていました。
地味で大人しい先生だったのですが、たまに変な事を言っていました。
でも、正直面白くないのです。
占いとかオカルト系が好きだったような気がします。
昔流行ったサイババの砂か何かを持っていると言われていました(笑)
その先生に卒業式の日に記念に一緒に写真を撮ってくださいとお願いしたら、
「写真は魂を吸いとられるのでごめんなさい。その代わりに握手で許して下さい。」と笑顔でお断りされました。
そういう事を言う人に初めてあったので衝撃でした。
存在感はあまりなかったのに、インパクトは絶大でした。
今は何してるのかなあとふと思い出します。
私が通っていた学校にいた変わっている先生(30代・女性)
私の高校生のことの話です。
私が通っていた高校の先生で変わった授業をする英語の先生がいました。
授業の途中で先生が質問を出し、生徒を名指しで当てて答えさせるのですが、答えられなければスタンドアップ!と言い、生徒を立たせたまま授業が普通に再開されるのです。
そしてまた急に質問タイムとなり、立たされている生徒が答えられれば座ることができるのですが、答えられなければずっと立たされたまま。運の悪い生徒は授業中ずっと立ちっぱなしで授業を受けるといったことも普通にありました。
今の時代ではこんなスタイルで授業をしていたら即PTAで問題になったりするのでしょうが、私が高校だったのは今からもう何十年も前のこと。その当時はその授業スタイルでも成り立ってたんでしょうね。
でも、その授業スタイルのおかげできちんと予習をしていかないとまた立たされるという思いなり、きちんと予習をしたうえで授業を受けていたので、授業にはついていけていました。
もちろん私も立たされていましたけどね。
「受験の時代」に「生き方」を教えてくれた先生(50代・男性)
私がおぼえている「変わった先生」は、高校時代の倫理社会の先生でした。
「倫理社会(略して倫社)」という教科自体が社会学や哲学や、歴史が混ざり合った教科で、当時まだ共通一次試験で大学入試をしていましたが、どちらかといえば日本史や世界史を選択するものが多く、「倫社」は人気がありませんでした。
そのせいというわけでもないのでしょうが、その先生はどちらかというと「哲学者」的な先生でね受験対策の「ここが出るぞ」的な話は少なく、常に倫社の知識に加えて「生き方」のような話や高尚な話をよくしていました。
忘れられないのは、宗教の話になった時に「バッハの『マタイ受難曲』」というLP(古いですが)4枚組の話を長々と続けたことがありました。
そのおかげで私もバッハに興味を持ってしまい、いつの間にやらクラシックファンとなってしまいました。
受験とは関係の薄い話をしてくれたことで様々な知識が逆に頭に入り、興味の幅が増えたような気がします。私自身は試験には「倫社」を選択したので、結局ほとんど自力で勉強しなければならないことになってしまいましたが・・・。
それでもやはり自分にとっては忘れられない「思いきり影響を受けた変わった先生」でした。
授業中に趣味の話を半分くらいする先生(40代・女性)
高校の地学の先生がとてもユニークでした。
地学の授業も半分くらい済むと、自分の趣味のマラソンの話になるんです。
四国のマラソン大会に出たら、ランナーにお味噌汁などふるまってくれたとか。
北海道の大会ではおにぎりをもらったとか。
本当に地方のマラソン大会に出場するのは楽しいとうことをずっと話すんです。
一度、クラスのみんながその走っているところの、写真かビデオを見せて欲しいと言ったら、先生もすごく嬉しそうでした。
そして、次の授業の半分は、先生が撮りだめた地方のマラソン大会の写真見学会となりました。
また丁寧に写真がスライドになっていて、見やすく加工してあって、どこから借りてきたのか、スライド映写機を使って映してくれました。
本当に面白い先生で授業が楽しかった思い出があります。
迷惑!熱唱英語教師(20代・女性)
私が中学2年生の時の英語の先生が変わった人でした。
一般的に、授業の教材で英語の歌を取り上げることはよくあることだと思います。
ただその先生は、歌の歌詞に関することしか授業をしてくれませんでした。
毎日毎日、クイーンやワムの歌詞を暗記させられたり、歌を歌わされたり…。
ちなみに教師は一人だけ異常なテンションで熱唱してました。
そのため、受験を意識している真面目な生徒からも、授業中居眠りをするような不真面目な生徒からも嫌われていました。
二学期中盤になってもそんな状態が続いたため保護者からの苦情が殺到し、いつの間にかどこかに飛ばされていました。
代わりの先生が来てからがまた大変で、半年程手つかずになっていた文法や単語を必死で詰め込んだのが修羅場でした。
問題になりかけた先生らしい(40代・男性)
中学校の時の話です。
その先生のことは好きなのですが、一部の女子からは問題だという声もあったようです。
柔道部の顧問であり、英語を教えていました。
とにかく面白い先生であり、ユニークでした。
何がユニークかというと、エスパーシールを愛用し、いい事をするとエスパーシールをくれました。
また、授業の合間におみくじを引かしてくれたりしました。
そのおみくじは、竹に穴を開け、串を入れたオリジナルです。
他にもベルトでSMのようなプレイをして、生徒を叩いたりしていました。
この行為をされた女子が、親に相談し、学校で問題になったそうです。
お咎めはありませんでしたが、そういう事があったようです。
悪気はなかったでしょうが、女子中学生からすると衝撃的であり、ショックを受けたのかもしれません。
他にもクラスでゆっくりと女子を背負投した事もありました。
現代なら、何らかの処分を受ける先生と言えます。
人気のあった変わった先生(60代以上・男性)
小学校のころ、人気のあった変わった先生がいた。
白髪頭にすこしふとった身体、Tシャツと短パンという姿は、見るからにおおざっぱそうな身体をしていた。
話は生真面目でなく、ところどころふざけていて、いつも生徒の笑いを買っていた。
理科の先生なのだが、理科室にはテレビがおいてあり、授業のネタがなくなったなどといってときどきテレビでビデオを見せてくれた。
なぜかガメラ、ゴジラ、モスラなどの怪獣映画が多かった。
しかし理科の知識はちゃんと持ち合わせており、生徒の質問にもちゃんと答えていた。
雑談話もウィットやユーモアにたけていて面白いものが多く、今思い出せば興味深い話も多かった。
たぶん人気があったのは、彼が「怒る」ということをしなかったことだと思う。
そもそも彼の授業では、怒られるような生徒が不思議といなかったのだ。
生徒にとても好かれる良い先生だったように思う。
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