子供の頃の夢は夢のままに、現実を受け入れましょう(30代・女性)
幼稚園児だった頃は、本気で「パパ」のお嫁さんになりたいと思っていました。
パパが、いつも「ママ」と一緒にベットで寝ているのが、悔しくて仕方がなかったのを覚えています。
パパのお嫁さんが何故「ママ」なのか、どうして自分ではなくパパはママをお嫁さんにしたのか真剣に悩んでいました。
小学校に上がった頃には、「パパのお嫁さん」という言葉はもう、どこにもなく同級生の「正君」が大好きでいつも正君と一緒にいました。
3月生まれの私と4月生まれの正君とでは成長に一年の差があり、正君は私のことを「妹」のように扱ってくれていました。
家が近所なので兄妹のような関係は大学にそれぞれが入学するまで変わりませんでした。
それから数年たち正君は「お嫁さん」を貰うことになりました。
今でも正君は実家の近くに住んでいます。
子供の頃から住んでいる家にお嫁さんを迎えたのです。
正君は、自分のお嫁さんに私のことを「血は繋がってないけどこいつ、俺の妹だから」と紹介をしてくれました。
私は今でも正君のお嫁さんになりたいのです。
勿論、正君はそんな私の気持ちに気づいていません。
夢は夢のままに、現実を受け入れましょう。
子供の頃の夢は通訳になることでした(40代・男性)
私が現在47歳の男性会社員、いわゆる普通のサラリーマンです。
子供の頃の夢は通訳となって働くことでした。
しかし挫折しました。
まず憧れた理由ですが、私が幼い頃って今から30年~40年前になります。
この頃って今みたいに英語の氾濫してる世界じゃありませんでしたし、英語を話せるってすごいことだなって思いました。
例えば今だと、方法っていう言葉を英語にするとメソットって使われますよね。
知らない人はいないってぐらいです。
しかし私が大学受験の頃だと、メソッドって外大や一流国公立大学の入試試験でしか出ないぐらいレアな単語でした。
この頃の方法ってみんなHOW TOしか知らなかったぐらいです。
それだけ私の子供の頃は通訳ってそれだけで食べていける仕事でしたし、需要のある職業でした。
しかし私が社会人となる頃には、英語の通訳なんて有り余っていて、これ一本で生活なんて出来ない状況でした。
結局通訳になるのはあきらめ、ただ英語が喋れるだけのごく普通の会社員として暮らしています。
憧れと現実(30代・女性)
30代になる私の小さい頃の夢と言えば「ケーキ屋さん」「お花屋さん」など、周りの女の子もそんな職業に夢というか憧れを持っていたと思います。
しかし、小学生にもなれば新たな趣味を持ち「夢=自分の好きな事」に変わりました。
子供でなくとも誰だって好きな事を仕事にしたいと思いますよね。
そんな私は学校でも家でも絵を描く事が好きで外で遊ぶより室内で遊んでいました。
それと同時に小説を読む事も好きで小学校の卒業文集には将来の夢は小説家と書いていました。
しかし、小説を読む事が好きでも作文しか書いた事がない私にはお話を考えるという事自体が苦となり、その夢は自然と消滅していきました。
今でも読む事はとても好きです。
好きな事で仕事出来たらそれは良い事だと思います。
子供の頃抱いていた漠然とした夢(20代・女性)
子供の頃の夢と言うとある職業に就きたいということを夢にしていた方が多いと思います。
私も子供の頃は様々な職業に就きたいと思いましたが、これに就きたいという一つの職業を強く願ったことはありませんでした。
私が常に願っていたことは「幸せ」です。
サンタクロースに幸せをお願いしたこともありました。
子供時代の私は幸せを味わってみたいとずっと願っていたのです。
なにかになることではなく幸せを掴むことが私の一番の夢でした。
誰かが自分幸せをもたらしてくれるものだと思っていたのです。
しかし、成長して行く上で幸せは待っていては掴めないということに気がつきました。
幸せは自分で掴みに行くもの、そして、日々の生活に感謝できることにより幸せは掴めるものだということを知ったのです。
子供の頃の夢と大人になってからの現実はギャップはあるがあまり気にならない(40代・男性)
小学生の頃は少年サッカーをしていたので子供の頃の夢はプロサッカー選手になる事でした。
それで小学生の頃はボールを使ってドリブル、シュート、パスなどを練習してテクニックを身につけていきました。
しかし高校生ぐらいになってから体力的に厳しい事に気づいてきてプロサッカー選手になるのは無理だと思って諦めてしまいました。
それで大人になったら自動車部品メーカーの工場でライン作業の仕事をする毎日になっていました。
子供の頃の夢と大人になってからの現実を比較してみるとすごいギャップがありますが、ほとんどの人が同じような感じだと思うのであまり気にはなりませんでした。
また子供の頃に夢を持つ事はすごく大切なので今でも良かったと思っています。
ラーメン屋さんになる夢は叶いませんでした(40代・男性)
私は子供の頃に、父に連れられて、有名なラーメン店で一杯のラーメンを食べました。
そのラーメンのおいしすぎる味に子供ながら感動して、将来はラーメン屋さんに成ろうと決心をしました。
それから私はラーメン屋さんになるために、毎日ラーメンを作り始めたのです。
ですが調味料などを同じにしても、毎回同じ味のラーメンを作る事が出来ませんでした。
ラーメン店を開く為には、同じ味のラーメンを作れなければいけませんから、これではいけないと思ったのです。
その後も頑張ってみたのですが、同じ味のラーメンを作る事が出来ず、結局あきらめる事にしました。
高校を卒業して普通の会社に勤め始めましたが、その後リストラに遭ってしまい、今はフリーターとして細々と生きています。
今でもラーメンを作ってみますが、やはり同じ味の物が作れず、自分の才能のなさが情けなく感じます。
獣医師になりたかったです(40代・女性)
子供のころにあこがれたのは獣医師でした。
それも、犬や猫といった小さな動物ではなく、馬や牛などの大型の動物の意思になりたいと思っていました。
その理由は単純で、大型家畜、とりわけ馬が好きだったからです。
しかし、いざ将来の道を決めるときになってわかったことは、獣医師の国家資格を取るには6年間大学に通わなくてはならないこと、そしてとてもレベルが高いということです。
学力は自分の努力でどうにでもできるので、頑張って勉強をしましたが、さすがに6年も大学に通わせてもらえるほど自宅は裕福ではありませんでした。
自宅から通える範囲に獣医師過程のある大学もなかったのも大きかったかもしれません。
諦めることへの葛藤はありましたが、ほかの大学の畜産科に入り、そこで勉強をすることができました。
子どもの頃の夢、途中までは追いかけていました(10代・女性)
私の子供の頃の夢は動物園の飼育員です。
いつからそう思うようになったのかは、はっきりとはわかりませんが、小学生の終わり頃には、そのようになりたいと思っていました。
その夢をかなえるため高校は動物について学ぶことができるところに通いました。
しかし高校で、将来は家畜についての研究をしたいと思うようになりました。
そして、それに関わる大学に通いたいと思いましたが、叶わず、結局現在は人の医療が学べる大学に通っており、将来は病院で働くことになります。
医療も幼いころから興味はありましたが、それに関わる職業に就きたいとは思っていませんでした。
しかし現在は病院に勤めることが私の目標のようになっています。
成長するにつれ、なりたい職業の現実を知り、他の職業の方に魅力を感じていくのだと思います。
かわいいケーキショップまたはcafe経営のはずが(40代・女性)
小学生の頃からお菓子の本を読みあさり、お菓子作りが大好きだった私。
親や親戚にも「将来はケーキ屋さんだね」などと言われ、その気になっていました。
中学生の頃には「ケーキを作って売りながら、25歳ころに結婚して、子どもは二人」と具体的な未来を思い描いていました。
が。高校に進学して、下宿生活が始まったためにお菓子は作れなくなり、先生方に煽られて受験勉強をしているうちに希望の進学先が大学になり、お菓子とは縁遠い生活になっていきました。
大学では教育学を選考し、周りのみんなと一緒に教員の道へ…。
そのまま仕事に追われる毎日を過ごしているうちに婚期も見事に逃し、実際に結婚できたのは40近くになってから。
高齢出産で娘をなんとか出産し、体力の限界を感じながら育児をする日々。
子どもの頃思い描いていた夢とは程遠い現実になりましたが、退職して時間ができ、娘が4歳になった今、時々一緒にクッキーを焼いたりしています。
子供の夢を奪う人工知能(20代・男性)
子供の頃の夢はバスの運転手でした。
大きな乗り物を街で堂々と簡単に乗りこなす運転手さんを見てかっこいいと感じ憧れていました。
バスの停留所があるとわざわざ見に行くくらい本気で考えていました。
そしてつい最近までその夢のままだったのですが、ニュースでこんな記事を見てしまいました。
今ある仕事の47%が人工知能によって代行される。といった記事です。
その中にバスの運転手も入っていました。
そしてまた最近なのですが2020年の東京オリンピックまでに自動運転カーが高速道路を無人で走ることを可能にさせるという記事です。
あと3年でこんなに技術が進化するのであれば新入社員としてバスの運転手の仕事に就いたとしても数年後には私はいらなくなる存在だと思うとやるせなくなり、今の子供の中にもバスの運転手の夢を持ってる子はいると思うんです。
そしてバスの運転手だけでなく学校の先生や、ケーキ職人など人工知能は幅広く対応できるそうです。
幼稚園児だった頃は、本気で「パパ」のお嫁さんになりたいと思っていました。
パパが、いつも「ママ」と一緒にベットで寝ているのが、悔しくて仕方がなかったのを覚えています。
パパのお嫁さんが何故「ママ」なのか、どうして自分ではなくパパはママをお嫁さんにしたのか真剣に悩んでいました。
小学校に上がった頃には、「パパのお嫁さん」という言葉はもう、どこにもなく同級生の「正君」が大好きでいつも正君と一緒にいました。
3月生まれの私と4月生まれの正君とでは成長に一年の差があり、正君は私のことを「妹」のように扱ってくれていました。
家が近所なので兄妹のような関係は大学にそれぞれが入学するまで変わりませんでした。
それから数年たち正君は「お嫁さん」を貰うことになりました。
今でも正君は実家の近くに住んでいます。
子供の頃から住んでいる家にお嫁さんを迎えたのです。
正君は、自分のお嫁さんに私のことを「血は繋がってないけどこいつ、俺の妹だから」と紹介をしてくれました。
私は今でも正君のお嫁さんになりたいのです。
勿論、正君はそんな私の気持ちに気づいていません。
夢は夢のままに、現実を受け入れましょう。
子供の頃の夢は通訳になることでした(40代・男性)
私が現在47歳の男性会社員、いわゆる普通のサラリーマンです。
子供の頃の夢は通訳となって働くことでした。
しかし挫折しました。
まず憧れた理由ですが、私が幼い頃って今から30年~40年前になります。
この頃って今みたいに英語の氾濫してる世界じゃありませんでしたし、英語を話せるってすごいことだなって思いました。
例えば今だと、方法っていう言葉を英語にするとメソットって使われますよね。
知らない人はいないってぐらいです。
しかし私が大学受験の頃だと、メソッドって外大や一流国公立大学の入試試験でしか出ないぐらいレアな単語でした。
この頃の方法ってみんなHOW TOしか知らなかったぐらいです。
それだけ私の子供の頃は通訳ってそれだけで食べていける仕事でしたし、需要のある職業でした。
しかし私が社会人となる頃には、英語の通訳なんて有り余っていて、これ一本で生活なんて出来ない状況でした。
結局通訳になるのはあきらめ、ただ英語が喋れるだけのごく普通の会社員として暮らしています。
憧れと現実(30代・女性)
30代になる私の小さい頃の夢と言えば「ケーキ屋さん」「お花屋さん」など、周りの女の子もそんな職業に夢というか憧れを持っていたと思います。
しかし、小学生にもなれば新たな趣味を持ち「夢=自分の好きな事」に変わりました。
子供でなくとも誰だって好きな事を仕事にしたいと思いますよね。
そんな私は学校でも家でも絵を描く事が好きで外で遊ぶより室内で遊んでいました。
それと同時に小説を読む事も好きで小学校の卒業文集には将来の夢は小説家と書いていました。
しかし、小説を読む事が好きでも作文しか書いた事がない私にはお話を考えるという事自体が苦となり、その夢は自然と消滅していきました。
今でも読む事はとても好きです。
好きな事で仕事出来たらそれは良い事だと思います。
子供の頃抱いていた漠然とした夢(20代・女性)
子供の頃の夢と言うとある職業に就きたいということを夢にしていた方が多いと思います。
私も子供の頃は様々な職業に就きたいと思いましたが、これに就きたいという一つの職業を強く願ったことはありませんでした。
私が常に願っていたことは「幸せ」です。
サンタクロースに幸せをお願いしたこともありました。
子供時代の私は幸せを味わってみたいとずっと願っていたのです。
なにかになることではなく幸せを掴むことが私の一番の夢でした。
誰かが自分幸せをもたらしてくれるものだと思っていたのです。
しかし、成長して行く上で幸せは待っていては掴めないということに気がつきました。
幸せは自分で掴みに行くもの、そして、日々の生活に感謝できることにより幸せは掴めるものだということを知ったのです。
子供の頃の夢と大人になってからの現実はギャップはあるがあまり気にならない(40代・男性)
小学生の頃は少年サッカーをしていたので子供の頃の夢はプロサッカー選手になる事でした。
それで小学生の頃はボールを使ってドリブル、シュート、パスなどを練習してテクニックを身につけていきました。
しかし高校生ぐらいになってから体力的に厳しい事に気づいてきてプロサッカー選手になるのは無理だと思って諦めてしまいました。
それで大人になったら自動車部品メーカーの工場でライン作業の仕事をする毎日になっていました。
子供の頃の夢と大人になってからの現実を比較してみるとすごいギャップがありますが、ほとんどの人が同じような感じだと思うのであまり気にはなりませんでした。
また子供の頃に夢を持つ事はすごく大切なので今でも良かったと思っています。
ラーメン屋さんになる夢は叶いませんでした(40代・男性)
私は子供の頃に、父に連れられて、有名なラーメン店で一杯のラーメンを食べました。
そのラーメンのおいしすぎる味に子供ながら感動して、将来はラーメン屋さんに成ろうと決心をしました。
それから私はラーメン屋さんになるために、毎日ラーメンを作り始めたのです。
ですが調味料などを同じにしても、毎回同じ味のラーメンを作る事が出来ませんでした。
ラーメン店を開く為には、同じ味のラーメンを作れなければいけませんから、これではいけないと思ったのです。
その後も頑張ってみたのですが、同じ味のラーメンを作る事が出来ず、結局あきらめる事にしました。
高校を卒業して普通の会社に勤め始めましたが、その後リストラに遭ってしまい、今はフリーターとして細々と生きています。
今でもラーメンを作ってみますが、やはり同じ味の物が作れず、自分の才能のなさが情けなく感じます。
獣医師になりたかったです(40代・女性)
子供のころにあこがれたのは獣医師でした。
それも、犬や猫といった小さな動物ではなく、馬や牛などの大型の動物の意思になりたいと思っていました。
その理由は単純で、大型家畜、とりわけ馬が好きだったからです。
しかし、いざ将来の道を決めるときになってわかったことは、獣医師の国家資格を取るには6年間大学に通わなくてはならないこと、そしてとてもレベルが高いということです。
学力は自分の努力でどうにでもできるので、頑張って勉強をしましたが、さすがに6年も大学に通わせてもらえるほど自宅は裕福ではありませんでした。
自宅から通える範囲に獣医師過程のある大学もなかったのも大きかったかもしれません。
諦めることへの葛藤はありましたが、ほかの大学の畜産科に入り、そこで勉強をすることができました。
子どもの頃の夢、途中までは追いかけていました(10代・女性)
私の子供の頃の夢は動物園の飼育員です。
いつからそう思うようになったのかは、はっきりとはわかりませんが、小学生の終わり頃には、そのようになりたいと思っていました。
その夢をかなえるため高校は動物について学ぶことができるところに通いました。
しかし高校で、将来は家畜についての研究をしたいと思うようになりました。
そして、それに関わる大学に通いたいと思いましたが、叶わず、結局現在は人の医療が学べる大学に通っており、将来は病院で働くことになります。
医療も幼いころから興味はありましたが、それに関わる職業に就きたいとは思っていませんでした。
しかし現在は病院に勤めることが私の目標のようになっています。
成長するにつれ、なりたい職業の現実を知り、他の職業の方に魅力を感じていくのだと思います。
かわいいケーキショップまたはcafe経営のはずが(40代・女性)
小学生の頃からお菓子の本を読みあさり、お菓子作りが大好きだった私。
親や親戚にも「将来はケーキ屋さんだね」などと言われ、その気になっていました。
中学生の頃には「ケーキを作って売りながら、25歳ころに結婚して、子どもは二人」と具体的な未来を思い描いていました。
が。高校に進学して、下宿生活が始まったためにお菓子は作れなくなり、先生方に煽られて受験勉強をしているうちに希望の進学先が大学になり、お菓子とは縁遠い生活になっていきました。
大学では教育学を選考し、周りのみんなと一緒に教員の道へ…。
そのまま仕事に追われる毎日を過ごしているうちに婚期も見事に逃し、実際に結婚できたのは40近くになってから。
高齢出産で娘をなんとか出産し、体力の限界を感じながら育児をする日々。
子どもの頃思い描いていた夢とは程遠い現実になりましたが、退職して時間ができ、娘が4歳になった今、時々一緒にクッキーを焼いたりしています。
子供の夢を奪う人工知能(20代・男性)
子供の頃の夢はバスの運転手でした。
大きな乗り物を街で堂々と簡単に乗りこなす運転手さんを見てかっこいいと感じ憧れていました。
バスの停留所があるとわざわざ見に行くくらい本気で考えていました。
そしてつい最近までその夢のままだったのですが、ニュースでこんな記事を見てしまいました。
今ある仕事の47%が人工知能によって代行される。といった記事です。
その中にバスの運転手も入っていました。
そしてまた最近なのですが2020年の東京オリンピックまでに自動運転カーが高速道路を無人で走ることを可能にさせるという記事です。
あと3年でこんなに技術が進化するのであれば新入社員としてバスの運転手の仕事に就いたとしても数年後には私はいらなくなる存在だと思うとやるせなくなり、今の子供の中にもバスの運転手の夢を持ってる子はいると思うんです。
そしてバスの運転手だけでなく学校の先生や、ケーキ職人など人工知能は幅広く対応できるそうです。
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